2010年09月03日

蓑毛通り(富士道)を歩く 西田原から東田原へ

 西田原から東田原へ
                          横山 信子

 「田原」という地名は、「荒れ地を開拓したところ」といわれ、湧き水も豊かで、盆地内の水田地帯です。この近辺は、中世の史跡や富士山のビューポイントなどがあり、散策にはうってつけです。東西の分村は永禄(一五五八〜一五七〇)以前だろうといわれ、今も東田原の中に西田原の飛び地が多くあります。
 田原の中ほどに大山道富士道(蓑毛通り)が走り、道標に「富士、大山」と記されるなど、多くの参詣者で娠わっていたと思われます。大山と富士山は父と娘の関係で、片方だけの片参りは良くないとされ、江戸→甲州→富士吉田→松田→田原→大山(子のコースを「富士下向」という)のルートが願わったそうです。しかし、同じ女の神様だからと大山の後、江の島を目指した人も多かったとか。
 延宝八年(一六八〇)の十日市場市立申立書には、「田原村氏直様以来より罷立市御座候」とあり、北条氏直支配の頃には田原村に市があったとされています。さらに同書には、「これをつぶし、その後十日市場町に立て、さらに曽屋村内に新しく市を立てた」と書かれています。上宿から下宿にかけてが十日市場跡とされ、宿尻という地名や改築前は宿屋だったという家もあり、往時が偲ばれます。
 西田原に「堀ノ内」という小字があります。北条家人数覚書書(天正十八年)に「大藤長門守相州田原の城五十騎」と記され、大藤氏の墓所が近くの香雲寺にあることからも、秀吉の襲来に備えた小田原北条氏の家臣大藤氏の城があったとされるところです。香書寺の梵鐘は
市内に現存する中でもっとも古い部類に入るそうです。また梅の参道があり、開花時は見事です。この参道の上部からは、晴れた日に弘法山や富士、箱根の山々を望める素敵なところです。参道入口の地蔵は「いぼとり地蔵」と呼ばれ、お願いするといぼが取れると伝えられています。
 東田原神社は、江戸時代までは米倉昌尹を開祖とする道明寺という寺で、米倉家の念持仏の観音像を安置していましたが、明治の廃仏毀釈によって神社となりました。社の造りに寺の名残りがうかがえます。今でもこの神社のことを「お観音さん」と呼ぶ人もいます。
 田原ふるさと公園の一角に、実朝公御首塚があります。「一二一九年、実朝は鎌倉の鶴ケ岡八幡宮に参拝した折、甥の公暁に殺された。公暁は逃げる途中、三浦義村の家来に討たれた。家来の一人、武常晴が実朝の御首を持って波多野まで逃げのび、波多野忠網がこの地に埋めた。実朝を弔って建てられたのが金剛寺」などの言い伝えや民話が残ります。金剛寺本堂には、実朝坐像が安置されています。毎年11月23日(祝)には御首塚を中心に実朝まつりが行われ、稚児武者行列や数々の催し物や模擬店などで盛大です。平成十八年には秦野市市制施行五〇周年記念事業の一環で、実朝まつりに合わせ公園周辺で秦野初の流鏑馬が披露されるなど、多くの観客で賑わいました。
posted by まほら秦野 at 13:54| 大山道を歩く コース編 東地区