2017年02月04日

会報「まほら秦野みちしるべ」第9号2017/1/20

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2016年09月26日

富士道を歩く

富士道を歩く 横山信子のイラストマップ

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2016年09月23日

10周年記念誌の内容

“まほら秦野”を次代に引き継ぐ
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2016年09月16日

まほら秦野みちしるべの会 創立10周年記念誌を発行

まほら秦野みちしるべの会
 創立10周年記念誌「まほら秦野みちしるべ」10月20日に発刊


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“まほら秦野”を次代に引き継ぐ
                   まほら秦野みちしるべの会  主宰 武 勝美

 神奈川県のほぼ中央にそびえる端正な大山(おおやま)・別称阿夫利山(あふりやま)は、落語「大山詣で」で知られている庶民の信仰、そして観光の山です。とりわけ、江戸時代は「一夏二十万」とも言われたように、道筋の宿場や休憩所は大山詣での人でたいへんにぎわいました。『大山道・おおやまみち』と呼ばれている大山へ向う道は、相模の国(神奈川県)には網の目のように広がっていました。柏尾通、田村通、八王子通、府中通、羽根尾通、六本松通、そして矢倉沢往還などがその代表的な『大山道』です。道のすべてが大山に通じていた、ともいえます。秦野盆地を通る『大山道』は、羽根尾通、矢倉沢往還、蓑毛通(富士道)、坂本通があります。

「まほら秦野みちしるべの会(略称・まほらの会)」は、それらの『大山道』を歩きながら、秦野の歴史や民俗に触れることを目的にして2007年8月26日に設立され活動を始めました。そして2013年1月、当初の目標の一つだった市内11図のイラストマップを完成させました。活動10年目を迎えた今年2016年、「10周年」を寿ぎイラストマップの第二版を上梓することができました。イラストマップ制作担当の横山さん浦田さん、精力的に実地踏査を行った全会員に称讃の拍手とねぎらいの言葉をおくります。

「まほら秦野」の『ま』は「真」、『ほ』は「秀」、『ら』は「あちら」「のら・野良」など場所を表す語の「ら」。秦野に生まれ、秦野で暮らしてきた私は、「秦野に育てられた」と心から思うのです。秦野は秀でた地、まさに『まほら秦野』です。

「ふるさと秦野を知り、秦野を好きになり、“ふるさと秦野”を育てよう」――できることならこの思いに共感してくれる人たちと、『まほら秦野』を次代に引継ぎたいと「みちしるべの会」を設立したのでした。この活動に賛同し16名が集まってくれました。その中の7名は「秦野を第二のふるさと」とする人でした。資料観で“侃侃諤諤(カンカンガクガク)”もありました。群馬・長野・静岡での研修は充実し、楽しいものでした。そうしたフィールドワークを中心にした活動から、私たちは「生活の平穏と心の安らぎを野仏に託した往時の人々の心、そして生き方」を学びました。
 この記念誌の刊行で、《次世代に渡したいもの》を私たちなりに明らかにすることができました。「まほらの会」は次の一歩を踏み出します。

◇活動の目標(2007年8月策定)
1 秦野市内を通る大山道の道標の所在地を確認、記録する。
2 市内のある大山道道標を訪ねるウオーキングマップの作成。
3 「まほら秦野・大山道」を次代に引き継ぐ。(案内人を目指す)

  
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2015年02月08日

会報「まほら秦野みちしるべ」NO7  

会報「まほら秦野みちしるべ」NO7  2015年1月10日発行

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2014年04月29日

会報「まほら秦野みちしるべ」第5号

会報「まほら秦野みちしるべ」第5号(2014年4月27日発行)

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2014年02月11日

会報「まほら秦野みちしるべ」 第4号

会報「まほら秦野みちしるべ」 第4号(研修旅行特集号・2014年1月15日発行)

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2014年01月27日

道祖神の里めぐり 倉渕・安曇野・辰野への研修旅行 12月4日〜5日

12月4日〜5日 道祖神の里めぐり 倉渕・安曇野・辰野     研修レポートNO2


 
秦野も「道祖神の宝庫」として               小泉 俊
 今回、訪れたどの地域の人たちも、道祖神をとても大切にしていることを感じました。倉淵地区では、公民館主催「道祖神の里めぐり」というイベントを毎年行い、コース案内、道祖神・史跡の解説を倉渕中学校の生徒が行っています。さらに、倉渕地区の道祖神のスタンプ全67個が作られ、公民館に置かれていたことに感心しました。
 秦野にも、戸川地区の神奈川県最古の双体道祖神、寺山地区の久奈斗大神、西田原地区の猿田彦大神のように珍しい文字碑が見られます。秦野東地区もまた、道祖神の宝庫と思われます。
 今回の研修により、秦野市内の道祖神についても、今後大事にしていかなければいけないと再認識しました。まほら秦野みちしるべの会の今後の活動方針も見出された感じがしました。
 できれば、一杯飲みながら、復習を兼ねて道祖神談義ができたら、より充実した視察研修会になったのかと感じました。


 道祖神保存の決め手は子ども               小山田静夫
 倉渕の道祖神は、暮らしと信仰心が結びついた歴史を物語っているように思えた。翌日訪れた辰野町沢底地区ともどこか似たところがある。
 安曇野・穂高地区は少し感じが違う。道祖神の造立は江戸時代末期と比較的新しいこと、田園の広がる地に家並みの中に点在していることからか、石像はきれい。石材も地産の御影石を使っているのも手伝っていると思う。最も特徴的なのは、子どもたちが彩色を行っている道祖神があること。
 穂高地区と倉渕地区、その内容は異なるものの子どもたちが参加しているところは共通している。子どもの神さまでもある道祖神(活動)を絶やさず、継続、発展させるためには子どもたちの参加が必要であることをあらためて感じた。
 ああ、そうだ。倉渕の坂下や、沢底の急坂など、狭いところを高いプロの技術で難なくバスを運転し、安心して旅を進めてくれた運転士・植田さんにも感謝。実り多い2日間だった。


 「まほらの会」のめざすもの                  横山 信子
 研修で一番印象に残ったのは、実物の道祖神に巡り合えたこと。そして「案内人」倉渕の市川光一さん、安曇野の川崎克之さん、辰野町の有賀茂人さんに出会えたことだった。
 以前この地を訪れた時は、道祖神を「見た」に過ぎなかった。今回は三人の方がいらっしゃったからこそ、短時間で多<の道祖神に会うことができ、より多<のことを学び、知ることもできた。案内人の重要性に改めて気づかされた研修だった。
 過日の東公民館講座で「解説付きだから参加した」という言葉を聞いた。参加者は私たちの案内で何か得るものがあったのだろうか。路傍の石仏や旧道は、ともすれば見過ごされてしまう存在だ。その背景にあるもの、いろいろな人の想いを残し、伝えていかなければ、と思う。
 この研修のためにいろいろ準備してくださった武先生、磯野さん、井口さん、ありがとうございました。
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2014年01月17日

道祖神の里めぐり 倉渕・安曇野・辰野への研修旅行・12月4日〜5日

小春日和。道祖神と出会う旅
     倉渕・安曇野・辰野へ初めての研修旅行・12月4日〜5日
                                                    浦田江里子
 
 今年度総会で提案された初の研修旅行が、訪問先の方々の協力を得て実現の運びとなり、12月4日〜5日、マクロバスを8人で貸り切って実施されました、参加者の感想、叙情あふれる武先生の俳句を紹介します。

12月4日(水) 群馬県高崎市倉渕町 
 冬枯れの林を眺めながらバスはなだらかな坂道を登って行く。高崎市街から25キロ山あいにひらけた倉渕地区(旧倉渕村)は、群馬県西部に位置し、利根川の支流、烏川の源流に沿うのどかな集落である。やわらかい陽射しにつつまれて、土蔵や古い瓦屋根、谷間に耕作された田畑に生活の営みが見える。ここは、鎌倉時代から信州街道の村として栄え、馬の背にやぐらをつけて旅した草津道者が行き交った地。民俗文化財や稀少な風習も残り、77ケ所114基の道祖神がたたずむ「道祖神の宝庫」といわれる地域である。
 道祖神の里を解説してくださったのは教育長も務められた市川光一さん。道案内は倉渕公民館の中沢さん。私たちをあたたかく出迎え、一日おつきあいくださった。

12月5日(木)午前 長野県安曇野市穂高町 
 陽光輝く常念岳、連なる白銀の北アルプス、眼前の有明山と山裾に彼方まで広がる田圃風景。穂高川の清流、川沿いのわさび田、雑木林の紅葉、青く大きな空。
 安曇野は道祖神の里として知られる観光地。川崎克之さん(安曇野案内人倶楽部)によると、580もの道祖神が造られたのは、信仰心の厚さ、梓川で採取できた花崗岩、豊かな財力、という要因からという。頻発した道祖神の「嫁入り」(盗難)も、深い信仰心のみならず、若者の力試しや腕力誇示の形でもあり、多くの場合、道祖神の背面に彫られた「帯代十両」を柑々が支払うことで円満解決したらしい。
 切実な願いを託された道祖神というより、おおらかでのびやかである。道祖神のようすも「土地さまざま」と感じた。

12月5日(木)午後 長野県辰野町・沢底地区
 伊那谷の最北部、中央アルプスと南アルプスに囲まれ、天竜川が流れる辰野町。総面積の85パーセントが森林という自然あふれる町の山際に、420人の集落、沢底地区がある。日本最古の道祖神と町花でもある福寿草まつりで知られる静かな山里である。
 沢底入村センターで案内をしていただく有賀茂人さんが待っていてくださった。この日のために作成された日付入りの道祖神マップをいただき感激。そして「日本最古・永正夫2年」の銘を持つ双体道祖神に会いに行く。その神さまは、陽だまりの中でほっこりと山の斜面に立っていた。裾めくりのポーズで500年以上もずっとそこに。
 各集落の鎮守社をまとめて祀っている鎮大神社(しずめだいじんゃ)を訪れるる。本殿の手前に覆屋があり、諏訪社など6の小宮が並んでいる。ご神体が納まっでいる社もあり、なにやら謂れもあるようだ。屋根付きの奉納品納め棚には、色褪せた扇子がいくつも掛けられている。生まれた子どもの名前とハサミの絵が書かれているのは、成長祈願と夜泣き・虫封じ(疳の虫封じ)の祈願という。が、この集落に産声が聞かれなくなって久しいらしい。かつて活気に満ちた時もあったのだろう。今は木立に埋もれ深遠な気配漂うパワースポットは、陽光の似合うこの集落で、ゾクッするほど印象的だったことを記しておきたい。一時間ほどの短い滞在だったが、ここでも忘れがたい出会いに感銘をうけた沢底訪問だった。


道 祖 神                武 勝美
        
 肩組みも握手・抱擁・献酬も「生の全う」願う姿ぞ
                      
倉 渕
  小春日やよう来なさったと夫婦神
  山陰に笑む道祖神冬温し
  里小春肩組握手道祖神
  冬日向寛文二年の双体仏
  道祖神の嫁入り話暖炉燃ゆ
  石神の微笑み二つ初写真(14年の年賀状に)

安曇野
  今朝の冬まとひ常念岳屹立す
  冬霧に沈む朝(あした)の道祖神
  雪嶺を負ふて彩色道祖神       
  冬耕の婦(つま)路傍神に見守られ
  冬日向頬を緩めて夫婦神
  この顔は誰彼に似てると笑い合い歩幅大きく安曇野を歩く

辰 野
  冬晴れや裾まくりとふ道祖神
  木枯らしや一村望む夫婦神
  風筋の木の葉あつめて路傍神
  裾まくり道祖神落ち葉のコンチェルト      
  冬到来風のごつんと石神に
  天明の飢饉の中で祀られし双体像はひときわ小さし      

ビバ!「みちしるべの会」
語りあう人居る幸ぞ温め酒

 
「まほら」を旅する
                                                         野村 幸雄     
                                         
 倉渕公民館の協力と市川さんの説明は本当に心に染みたと同時に、郷土を愛する、歴史を愛する気持ちに思える。これが中学生の有志が道祖神の説明をするという行事につながったと思う。武先生の事前の調査もあり、今回倉渕に来た熱意も伝わり、本当によかった。秦野では見られないような道祖神もあり、また「孝心塔」と書かれた庚申塔も見つけたりして、有意義な倉渕であった。
 穂高では、案内役の川崎さんが道祖神以外のことも気さくに答えてくださり、地域についても理解できた。急遽、トイレ休憩をお願いした吉祥山東光寺の住職の奥さん(90歳前後)に話を聞けたのもよかった。
 廃仏きしやくで廃寺になったが一代で寺を建て直したとか、山門の像のモデルが横綱北の湖関であるとか。また、山門のところに「脚下照顧」とあり、反省させられる一面もあった。
 道祖神は上手い下手はあるが彩色してあり、これは小学生によるもの。近くの地域でも、色のない道祖神もあり、違いが浮き彫りになっていて考えさせられた。
 辰野ではいきなり「日本最古」の道祖神を見学。たくさんの道祖神が並べてあるのは道路拡張などでやむなくまとめたのが現実で、時代に即した対応であろう。各地域の神社を集めて大宮、小宮として祀ってあるのも時代を感じさせられた。
 今回の旅に尽力された方々に心からお礼申し上げます。


個性いろいろ「わが町」の道祖神                                   綾部 英雄

 初めて秦野市外の道祖神を訪れて感じたことは、各地区マップを作成し、わが町はこんなにいろいろな道祖神がある、とPRして町おこしに活用していることだった。
 倉渕では、かなり悩ましい姿の像や、座った形、御高祖頭巾の像、娘さんの国体出場記念のかわいらしい少女像、秦野では見たことのない焼け焦げた道祖神など、バラエティに富んでいて、しかも素朴感いっぱいで楽しい限りであった。いかにも道祖神の似合う町である。
 安曇野の像は、石が硬い材質のためか彫り跡もはっきりして色鮮やかで大柄である。
二十三夜塔が脇にあるのも目につく。町並みを見ると、屋敷も広く、きれいに手入れされた庭と蔵が似合う。
 辰野町沢底地区の日本最古の道祖神は、500年以上たつとは思えないほど彫りもしっかり残っていた。最近まで2月8日に「メッチリ ハナッチリ」と言いながら餅を道祖神に塗りつける厄除け行事が行われていたというが、見たかったものである。
 無造作に置かれているが、盗難にもあわない。盗めばバチがあたるから誰も盗まないとおおらかである。二猿という珍しい庚申塔もあった。地域による違いはいろいろあるものだ。
 今回の研修旅行は皆の日頃の行い(道祖神・石碑の調査)のためか、天気にも恵まれ、アルプスの雪景色、澄んだ川、どれも素晴らしかった。各地区でお世話になった方々に、今度は秦野に来ていただいて、秦野の道祖神を案内したいものである。
 「上州名物かかあ天下とからっ風」の由来が、人が来たときに「かかあ出んか」と言ったから、だとか。なるほど。面白い話である。


ともかく嬉しい 道祖神との出会い                                    井口 健二

 研修会は、知る人ぞ知る倉渕町のおおらかで人間味あふれる道祖神との出会いで始まった。それは緊張をいっぺんに和らげてくれた。移動中のバスの中でも、夜の宴会でもその話題で盛り上がった。
 浅間温泉からの2日目、朝食を7時に済ませ、安曇野に向かう。急に湧いた深い朝もやの中を穂高駅からバスで西へ10分。歩き出すと真っ白な雪を被った北アルプスが静かに立っている。広い畑の向こうまでさえぎるものは何もない。有明富士が透き通った青空の中に悠然と聳えていた。ここは、別天地、仙人の住む桃源郷だ。ともかく嬉しくなった。みんなの笑顔がうれしい。
 1時間ほど道祖神を見て回った。いずれも大きい。石は白っぽくて硬い花崗岩のようだ。いつの頃からか、子どもたちの手によって自由に彩色されている。朝の連続ドラマで見たあれ以上だ。大人の背丈よりも大きいものもある。恵比寿・大黒と並んでいるものもあった。大概はみな立派な石の台座を新調してもらい、一段と高く持ち上げられている。そのためか、誇らしげに立っている。
 地元の方は視線が合えば必ず頭を下げて挨拶をしてくださった。私も「ありがとうございます」と頭を下げた。
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2013年12月25日

「道祖神と湧水めぐり」のご案内

まほらの会よりご案内

秦野市南地区
  道祖神と湧水めぐり 
(ウオークとミニ講座)
            主催・秦野市立南公民館  協力・まほら秦野みちしるべの会

  日 時  平成26年1月8日(水)9時30分〜15時
         ミニ講座「道祖神ワンダーワールド」 
         ・道祖神の形体 ・紙芝居上演「目一つ小僧」 
                    講 師  武 勝美さん
          問合せは南公民館へ(0463-81-3001)
posted by まほら秦野 at 08:07| 活動の歩み

2013年12月23日

まほら秦野みちしるべの会 研修会

2013年12月4・5日 日本最古の道祖神を訪ねる  
 
           群馬県高崎市倉渕地区
           長野県安曇野市穂高地区
           長野県辰野町沢底地区

    学習資料  道祖神像に見る地域性・特徴
1 秦野(西相模)  僧形合掌直立像(1669)  男女双体直立像(祝言、肩組みは稀)
          双体像 180 文字碑140

2 倉 渕(群馬)  男女双体像(祝言、肩組み握手が多い 座り雛 抱擁像)
僧形合掌直立像(1625年) 

3 安曇野(長野)  男女双体像(祝言、肩組み握手 彩色が特徴 冠位束帯 菊紋) 1700年以降が多い

4 辰 野(長野)   男女双体像(1505年)  (祝言、肩組み握手)  石祠
  
5 伊 豆 (小田原・真鶴・湯河原・熱海・三島・東伊豆地方)
単体で地蔵像 女神坐像

6 富士宮(静岡)  単体僧形立像 双体は祝言、肩組み握手(坐像で手の大きいものがある)

7 山 梨  丸石 石棒 石祠(1660年)  男女双体像(分布は県境地帯に限られている)

8 柏 崎(新潟)  男女双体像(祝言、肩組み握手) 脚気、耳病、眼病を直してくれる神でもある。木像、藁や紙製の道祖神も(いずれも燃やされる)。男根・女陰を大胆に表現しいている。

まとめ 
 ・どの地の男女双体像も 「慎ましやか」、あるいは「伸び伸びと大らかに」愛情表現をしている。
 ・道祖神は精一杯生きている村人(地域、共同体)を力強く支えている神。仏教、道教、儒教の伝播を乗り越え生まれた日本民族の代表的な民俗信仰。
posted by まほら秦野 at 09:27| 活動の歩み

2013年10月05日

富士道を歩く

富士道を歩< 蓑毛から堀山下まで   2013年9月26日


@宝蓮寺 大日如来像(県重要文化財)・聖観音(市重文)・十王像(市重文)・仁王像(市重文)拝観
A御師の村 大山信仰の布教、宿坊、道案内などを行った御師。:密正院(安居院庄七の生家)、大満坊、吉田屋
B大山鳥居 (扁額)阿天利神社 安政6(1859)年
C才戸入口
 道標(不動明王) 1735(享保20)年 (正)右ハふし 左ハおた原
 地神塔(五角柱型・天照大神 大己貴命 少彦名命 埴安姫命 倉稲魂命)
男女双体道祖神(秦野初出) 元文6(1741)年
D水神碑2基 昭和3(1928)年 ・昭和15(1940)年 いずれも(正)水波能売命

        (休憩・東公民館)

E道祖神碑 文化3(1806)年 (正)道祖神 文化三年 いせ原口(左)丙寅正月 大山
F朝日神社 祭神は誉田別命(八幡信仰) 浅間大神碑 明治28(1895)年
G横掘井戸 水神碑
H地神塔 道標を兼ねる 文化6(1809)年 (正〉堅牢地神塔(右)大山道
I二十三夜供養塔
J道祖神碑 弘化4(1847)年
K道祖神碑(猿田彦塔) 文政10(1827)年 「猿」(申)から庚申塔とみる研究者もいる。
L金蔵院 市内唯一の真言宗寺院  阿弥陀如来像(市重文)拝観 四国ハ十ハケ所お砂踏み霊場
         
        (昼食・休憩)                            
  
M上宿跡 大山・富士山へ向かう道中の宿。本町に移った市場(十日市場)の前身 
N念仏塚 富士講塔・扶桑山大神 明治13(1880)年 三十三度記念碑(明治13(880)年)は倒壊
O大山道解説板 中央運動公園駐車場
P舟つなぎの松 水無瀬橋南側の陸上競技場脇
O大山道道標 (正)大山道(左)ふしみち 寛延4(1751)年 

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2013年08月04日

大山古道坂本道の道標の建立

大山古道坂本道の道標の建立

2013年8月3日  寺山772番地

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2013年04月11日

「“おおやまみち”まちづくりサミット in 伊勢原」 まちおこしには「よそ者・若者・バカ者」の力を

  「おおやまみち”まちづくりサミット in 伊勢原」
     まちおこしには「よそ者・若者・バカ者」の力を

 3月24日、「大山道」をキーワードに、沿道の自治体や団体が一堂に会し連携をはかろうという「“おおやまみちまちづくりサミットin伊勢原」が産能大(伊勢原市)で開催され、9人が参加しました。
 伊勢原市主催のこの企画には、近隣市長、町長、川崎市や世田谷区、産能大、東海大、小田急、神奈中、大山観光電鉄はじめ、約400人が参加、官民一体で大山を盛り上けていこうという目的のもと、共同宣言を発表する形で関係機関の結束が約されました。
 参加団休の活動発表(3団体)に登壇した「まほらの会」は、武講師が「富士道〜富士から大山へ」を講演、地域を知ることの大切さとともに、まちつくり・活性化の原動力は、よそ者(に耳を傾け)、若者(の行動力)、パカ者(の熱意)の力が必要と、報告しました。
 「おおやまみちもが結ぶ絆」をテーマとした近隣5市長による意見交換会では、生活道路に密接した大山道の意義、点と点から生まれる線と面の発展など、大山は地域のシンボルであり、観光資源であることが各市長のことばで強調されました。なかでも「身近な大山に、小・中学生がまず登ろう、地元から発信力を強めよう」という海老名市長の熱意あふれる発言に拍手がわきおこったことが印象的でした。
 たった18人の「まほら秦野みちしるべの会」ですが、このような大きな流れに一石を投じ、存在をアピールし、何かできることがあるのでは、と考えられるように成長したことは、嬉しく意義深いこと、と実感したひとときでした。(事務局記)


 
  『みちしるベイラストマップ』を市内小・中学校に寄贈

 2月17日、マップを市内全小・中学校22校にイラストマップを贈呈しました。
 望月国男教育委員会委員長のお出迎えを受け、教育委員会を訪問した横山会長と井口さんが、市議会期間中の教育長に代わり杉山哲也教育部教育指導課長にマップを手渡しました。私たちの成果が、子どもたちの地域学習活動に一役かってくれることを願っています。(事務局記)
posted by まほら秦野 at 15:04| 活動の歩み