2013年05月24日

大山道を歩く「路傍の神仏を訪ねて」 東地区 寺山

古道・大山道を歩く「路傍の神仏を訪ねて」 東地区 寺山   2013/5/23 実施

 東公民館
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 庚申塔 (東公民館前) 上原 金山 関口 1831(天保2)年 ・東田原1525 
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 マタドの渡しと馬頭観音群
  金目川橋下流100mの川中に、大山道・坂本通りと蓑毛通りを結ぶ川中の道(踏み石)が残っていた。「マタド」に「馬渡戸」「馬渡」の字を与える研究家もいる。地形用語では「又と」で「二つの川か合流するところ」。この地はかつて金目川と中丸川が合流していたところ。「馬渡戸」「馬渡」になったのは、金目川橋の東のたもとに95体の馬頭観音が祀られているからだろう。 この馬頭観音群の中で最古のものは安政5年(1858年)に寺山村の角ケ谷戸西、二ツ澤、清水、竹之内、久保の各庭が合同で奉じた観音菩薩像。建立年代は、明治12、大正が26、昭和が30基。もっとも新しいものは昭和53年(1978年)の建立。
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 大山道道標
 「(左)ミの毛道(右)さ可本道」と記されている。今の大山・子易は、当時「坂本村」だった。そこに通じたのが「さ可本道」。
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 西の久保湧水
 「風土記稿」によれば、ここは天水場(溜め池)。大正8年(1919年)、旱害対策の横穴井戸が村の有志によって掘られた。記念碑がある。
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 道永塚と首切り畑
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 三界萬霊・庚申搭(宝作) ・寺山191
  宝作庭に入口に立つ寺山最古(延宝元年・1673年)の石碑。三界萬霊塔の下部に庚申搭の印である三猿の上半身がわずかに見える。 道祖神の表記に注目
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 天社神(宝ケ谷戸)                      ・寺山485
 県道脇に立つ。市内で二番目に古い建立で寛政11年(1799年)。台石に「右十日市場」「左坂本」と記されている。寺山667に立つ地神塔が市内最古で安永10年(1781年)。市内三番目に古いのは鹿島神社境内の天社神で享和2年(1802年)
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 清水湧水池跡記念碑                       ・寺山495
 東小・中学校の校歌に歌われている湧水池の記念碑。平成16年・2004年に清水自治会が建立。湧水は開発により平成16年(2004年)に消滅。久奈斗大神(道祖神)碑
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 武邸の屋敷神 
 庚申塔、巳待塔、稲荷社、金精神、4体が祀られている。
 東中学校の宮永岳彦画伯のレリーフ
 昭和60年(1985年)、新校舎が完成した記念に、東地区にゆかりのある宮永画伯にレリーフの壁画を依頼。1棟東面は「集団における協調精神と慈愛」、正面玄関の横・上には「人生の指針と未来への希望」が主題の大レリーフが飾られている。
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 円通寺(昼食)市重要文化財・十一面観音菩薩像。
  講座「波多野氏の居住地(波多野城)を示す古語」
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 鹿島神社
 祭神は「国譲り」の話の建御雷之男神・武甕雷男神・武甕槌命(タケミカヅチノカミ)。
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 (坂本道を歩く)
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 道祖神(僧形双体像)                      ・小蓑毛233
 小川直之氏は「この双体像は、像容(僧形の合掌像)からすれば寛文(1661年)から元禄(1703年)時代のもの」と推察。横畑地区では安産の神でもある。
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 大山道道標 不動明王(祠)(正)大山道 1820(文政3)年   ・小蓑毛235
 1990(平成2)年に建てられた祠。2011(平成22)年3月4日に建て替え。
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 才戸(馬返し つたや)                    ・蓑毛141
  ・大山道道標 動明王像を戴く市内最古の道標で享保20年(1735年)
  「右ハふし 左ハおた原」と記されているが、今は判読は困難。
  ・道祖神(男女双体像・市内初出) 1741(元文6)年 
  ・地神塔(五角柱型 市内唯一)               
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 地神塔 市内最古で1781(安永10)年             ・寺山667
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 東雲小学校跡碑
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 波多野城址
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 寺山遺跡と金目原遺跡
 柄鏡形敷石住居址
 寺山には寺山遺跡と金目原遺跡が存在する。JA東支所と東公民館を結ぶ県道の北側の遺跡を寺山遺跡、南側で見られたものを金目原遺跡。東小学校の二階ロビーに寺山遺跡より出土した柄鏡形敷石住居址(縄文中期のもの)が復元・展示されている。金目原にいくつかあった古墳も今は1基(寺山28)が現存しているだけ。この古墳上に慰霊碑が建てられているが根拠は不明。(建立者は関野氏)。
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 東公民館
posted by まほら秦野 at 07:58| 大山道を歩く コース編

2012年11月04日

矢倉沢往還(千村・渋沢地区)を歩く

平成24年10月27日
  矢倉沢往還(千村・渋沢地区)を歩く     主催 秦野市立渋沢公民館
                               協力 まほら秦野みちしるべの会


 《渋沢公民館 (オリエンテーション)》
 ・矢倉沢往還と富士道 ・富士山と大山の祭神 ・往来手形


 ≪曲松稲荷神社≫(富士道道標)
・道標  高さ183aで市内最大の道標。大山道と矢倉沢往還の分岐。寛政8年(1796年)
  正面から右 ふし道 さい志やうじ道
  左 十日市場 かなひかんをん
  右側から右 大山みち 願主當村 江戸屋喜平治
  左側から左 小田原 いいすミみち
   参考; さい志やうじ・・最乗寺  十日市場・・今の本町四つ角周辺
    かなひかんをん・・金目観音 いいすミみち・・飯泉

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 ≪二つ塚≫
・正面堅牢大地神  文化14年(1817年)
右 大山 十日市場 左ふし さい志やうしみち
・庚申塔(青面金剛像)
・富士浅間大神碑
・富士講塔 報蒼天 三十三度


 ≪茶屋跡≫
・千 村 矢倉沢往還の主要な継立場の一つ。矢倉沢方面から峠を登って きてホッと一息入れた場所。「新編相模国風土記稿」に「矢倉澤往来係る 幅二間半 陣馬継立をなす西、足柄上郡松田惣領、北、本郡曽屋村へ継送る共に一里八町の里程なり、但近隣十三村より人馬を出し是を助く」と記されており、矢倉沢往還が通過する主要な村のひとつ。

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 ≪古銭出土跡≫


 ≪屈掛(沓掛)の不動尊≫
 地名は《屈掛》 矢倉沢往還の波多野庄への西の入り口。戦前までは松田町神山地区との交流があった。 道標  ・不動尊  安永3年(1774年)        
台の正面  川上 そぶつみち
         大山道 天下泰平国土安全
          川下 ふじみち さい志やうじみち


 ≪泉蔵寺≫
新編相模国風土記稿によれば、萬年山泉蔵寺 (せんぞうじ)と号し、曹洞宗の寺。 開山は足利上郡松田惣領延命寺の末寺、本寺二世行世室良順大和尚によって文明十三年(1481年)に開山。寺領十 三石の御朱印を慶安二年八月(1649年)に賜わる。
・庚申塔  寛政12年(1800年) 青面金剛像  (右)ふじ道
・庚申塔  寛政10年(1798年) 庚申供養 寛政十戌午年六月吉日
    右ハ十日市場 大山道  左ハほり


 ≪白山神社≫
祭神:伊邪那美命、菊理比売命
新編相模国風土記稿には、「白山社神體木像・春日作・長五寸五分、傍らに十一面観音を置・長一尺六寸五分・行基作、村の鎮守なり、例祭六月二十八日、天正十九年十一月、社領一石五斗の御朱印を賜ふ。泉藏寺別当す、幣殿、拝殿、神楽殿建り、松樹 周一丈二尺を神木とせり」とある。
・木登り道祖神 アラカシの木の洞にある双体道祖神


 ≪カリガネの松≫


 ≪丹沢の眺望と山岳信仰≫
 菩提峠 二ノ塔 三ノ塔 行者岳 新大日 塔ノ岳(尊仏山)


 ≪峠隧道≫


 ≪県道大井秦野線≫
旧名:大山道 小田原道 稲荷神社道標に記されている道。さきほど歩いた屈掛の不動尊の脇は四十八瀬川。山から下る急傾斜の川なので氾濫して渡れないような場合は、この道が矢倉沢往還の別経路となった。篠窪から神山を抜けて松田惣領に至る。


 ≪渋沢神社≫
祭神:大雀の命、伊邪那美の命、須佐之男の命
建保六年(1216年)十一月、鎌倉鶴岡八幡宮の若宮を当地に勧請し、氏神とした。古神札(棟札)に「河村菊千代殿代官稲毛越前守拝御百姓中之請助成奉造立一顆弘三歳己」、別の棟札に造営祈願文と元亀四癸酉年を蔵し、天正十九年、御朱印一石五斗を賜う。天明の頃、御嶽社より須佐之男之命を勧請。明治六年、渋沢神社と改称。


 ≪喜叟寺≫ 曹洞宗廣澤山喜叟寺。
  源頼朝に仕えていた家臣が僧となり、この寺を開基しました。徳望のある僧だったので貴僧と呼び寺名も貴僧寺になった。一時寂れていたが東田原の香雲寺6世再興し「喜叟寺」となった。 


 ≪堂坂前の庚申塔と双体道祖神≫
・庚申塔 文化5年(1808年) バス停堂坂前の三叉路に立つ
      正面 庚申塔
      右 大山道
      左 ふじ さい志ようじみち
・双体道祖神  安政2年(1855年)


 ≪渋沢公民館≫
posted by まほら秦野 at 16:22| 大山道を歩く コース編

2012年10月01日

路傍の神仏を訪ねて NO2 路傍の神仏を訪ねて NO2

路傍の神仏を訪ねて NO2

大山道・羽根尾通りから矢倉沢往還(落合・名古木)を歩く   2012・9・26
(※は時間があれば見学)

東公民館 (オリエンテーション 路傍の神・天社神) 
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金目原馬頭観音群
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大山道道標                      (バス停・藤棚)
供養塔(首切り畑)                   (バス停・藤棚)
溜め池・水波之売神(ミズノメノカミ)碑 大正8(1919)年  (寺山西の久保) 

道永塚(明和8年・1771年)

石橋供養塔(大山道道標) 右 伊勢[  ] 左[  ](万延元年・1860年) 
傍にあった東落合用水池と火の見櫓(昭和時代まで落合地区の生活を支えていた)は2009年に撤去された。

地蔵堂(明治5年・1872年)通称「出口地蔵」 開進学校跡碑

常夜燈 
大山の夏山の間 (7月27日〜8月17日)地元小金沢地区の人たちによって点されていた。一時期中断され、台座しか残っていない。15年ほど前、地区の健康・安全を祈願することもあり復活。伏見稲荷の灯籠を用いている。

百番観世音塔 (左)伊勢原道 (右)享和元稔 弘法山(享和元年・1801年)(曽屋4080・こうぼうふじみ公園角)  

地蔵(大山道道標)(右)かない道(左)十日市場道(明和2年・1765年)
(名古木1018・ 乗馬クラブ角)
※善波峠へ(石仏群) 矢倉沢往還の秦野への入口

大山道道標(灯籠・火袋なし)  (名古木1154)               

双体道祖神 市内では珍しい祝言像(献酌双体像とも言う) (名古木1154)

道祖神  市内でもっとも新しい道祖神・文字碑
  平成22(2010)年4月17日 名古木・道場自治会による造立

御嶽神社・庚申塔(大山道道標)右ミ[  ] 左十日市場みち 
(名古木458・御嶽神社東側)

昼食 講話   名古木会館

天社神(地神)(大山道道標)左みの毛道 西沢中(文政2年・1819年)
(名古木476)
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庚申塔(貞享5年・1688年) 碑文に并椚村(ナクヌギムラ)とある
  道祖神、地蔵など。地蔵は寛文10(1670)年で東地区最古  (名古木247)

(旧・宮永岳彦画伯アトリエ)

地蔵堂

※天社神(寛政11年・1799年) 左 坂本 右 十日市場 宝ケ谷戸村中
(寺山485)

※清水湧水池跡記念碑( 平成16年) 清水自治会 (寺山495)

※大いちょう(秦野の景観100選選定) (東中学校校庭)

東公民館 (まとめの講座 金目川の「金目」とは)


 ふるさとを知り ふるさとを愛し ふるさとを育てる

                    まほら秦野みちしるべの会  武 勝美
  

posted by まほら秦野 at 14:29| 大山道を歩く コース編

2011年03月26日

富士道を歩く 金井島(開成町)・松田・千村・曲松・田原・蓑毛・寺山・小蓑毛・坂本(大山)

瀬戸屋敷・あしがり学校特別コース                         2011/3/25
             
「歴史を刻むふるさとの道・大山道」大山道と里人の暮らし

1 なぜ大山なのか(大山信仰)  ※大日堂境内の道標(従是不動石尊道)
(1)雨乞い(雨降り・阿夫利山、農耕の神) 
(2)漁業・航海の神 
(3)初山参り(成人お礼) 
(4)死霊鎮魂(茶湯寺) 
(5)招福除災(太刀納め) 
・大山の位置 江戸から18里(1里は約3.9km) 三泊ほどの距離。宝暦年間には年間20万人。

2 富士山と大山
 コノハナノサクヤビメ(木花之佐久夜毘売)
 オオヤマツミノカミ(大山祇神、大山積神、大山津見神)
 
3 富士下向と富士江掛越
「村山坊の宿帳」による1831年の夏山(6/27〜7/17) 宿泊者は857人。宿泊した講中で「富士下向」7組、「富士江掛越」2組。

〇 一般的な「富士下向」コース
 江戸(甲州街道) → 大月→ 谷村→ 富士吉田→ 登頂→ 須走→ 御殿場→ 竹ノ下→ 矢倉沢→ 関本→ 大山

〇 大山詣での一例
コース
自宅→ 甲斐一ノ宮→ 富士山→ 須走→ 足柄峠→ 道了尊→ 松田→ 蓑毛→ 大山→ 子易→ 田村→ 藤沢→ 江ノ島→ 鎌倉→ 鶴間→ 八王子→ 小仏→ 上野原→ 大月→ 勝沼→ 木之宮→ 帰宅 (全行程おおよそ308kmを10日間。一日の歩行距離約30.8km)
※一行六人のうち、松田宿から駕龍二人、馬二人。田原で一人だけ馬で蓑毛に向かう。永楽屋で昼食をとり一行は空身で大山に向かった。荷物は押し切り印の切手と引き換えに人足によって子易に送られている。この人足は、道者が雇った者か茶屋の雇った者かはっきりしないが、蓑毛と子易の旅館が連携して道者への便宜を図っていたようだ。大山では大津屋に泊まる。(『富士道中雑記 附江ノ島・鎌倉』・神奈川県立金沢文庫所蔵から) ・内容などから推定すると天保九年(1838)ごろ。

4 大山道と里人の暮らし
(1)富士道   ※波多野庄の入口の道標 沓掛の不動明王 
八幡清水の横堀井戸 道切講 筒粥神事 
(2) 蓑毛通  蓑毛の地名「才戸」 
(3) 坂本通  寺山の地名「チョウ塚」「地獄ケ入」「横畑の大山道の道標」

5 おわりに
  活動の原動力は「よそ者 若者 ばか者」  
  ふるさとを知り ふるさとを愛し ふるさとを育てる

posted by まほら秦野 at 08:52| 大山道を歩く コース編