2013年12月23日

まほら秦野みちしるべの会 研修会

2013年12月4・5日 日本最古の道祖神を訪ねる  
 
           群馬県高崎市倉渕地区
           長野県安曇野市穂高地区
           長野県辰野町沢底地区

    学習資料  道祖神像に見る地域性・特徴
1 秦野(西相模)  僧形合掌直立像(1669)  男女双体直立像(祝言、肩組みは稀)
          双体像 180 文字碑140

2 倉 渕(群馬)  男女双体像(祝言、肩組み握手が多い 座り雛 抱擁像)
僧形合掌直立像(1625年) 

3 安曇野(長野)  男女双体像(祝言、肩組み握手 彩色が特徴 冠位束帯 菊紋) 1700年以降が多い

4 辰 野(長野)   男女双体像(1505年)  (祝言、肩組み握手)  石祠
  
5 伊 豆 (小田原・真鶴・湯河原・熱海・三島・東伊豆地方)
単体で地蔵像 女神坐像

6 富士宮(静岡)  単体僧形立像 双体は祝言、肩組み握手(坐像で手の大きいものがある)

7 山 梨  丸石 石棒 石祠(1660年)  男女双体像(分布は県境地帯に限られている)

8 柏 崎(新潟)  男女双体像(祝言、肩組み握手) 脚気、耳病、眼病を直してくれる神でもある。木像、藁や紙製の道祖神も(いずれも燃やされる)。男根・女陰を大胆に表現しいている。

まとめ 
 ・どの地の男女双体像も 「慎ましやか」、あるいは「伸び伸びと大らかに」愛情表現をしている。
 ・道祖神は精一杯生きている村人(地域、共同体)を力強く支えている神。仏教、道教、儒教の伝播を乗り越え生まれた日本民族の代表的な民俗信仰。
posted by まほら秦野 at 09:27| 活動の歩み

2013年10月05日

富士道を歩く

富士道を歩< 蓑毛から堀山下まで   2013年9月26日


@宝蓮寺 大日如来像(県重要文化財)・聖観音(市重文)・十王像(市重文)・仁王像(市重文)拝観
A御師の村 大山信仰の布教、宿坊、道案内などを行った御師。:密正院(安居院庄七の生家)、大満坊、吉田屋
B大山鳥居 (扁額)阿天利神社 安政6(1859)年
C才戸入口
 道標(不動明王) 1735(享保20)年 (正)右ハふし 左ハおた原
 地神塔(五角柱型・天照大神 大己貴命 少彦名命 埴安姫命 倉稲魂命)
男女双体道祖神(秦野初出) 元文6(1741)年
D水神碑2基 昭和3(1928)年 ・昭和15(1940)年 いずれも(正)水波能売命

        (休憩・東公民館)

E道祖神碑 文化3(1806)年 (正)道祖神 文化三年 いせ原口(左)丙寅正月 大山
F朝日神社 祭神は誉田別命(八幡信仰) 浅間大神碑 明治28(1895)年
G横掘井戸 水神碑
H地神塔 道標を兼ねる 文化6(1809)年 (正〉堅牢地神塔(右)大山道
I二十三夜供養塔
J道祖神碑 弘化4(1847)年
K道祖神碑(猿田彦塔) 文政10(1827)年 「猿」(申)から庚申塔とみる研究者もいる。
L金蔵院 市内唯一の真言宗寺院  阿弥陀如来像(市重文)拝観 四国ハ十ハケ所お砂踏み霊場
         
        (昼食・休憩)                            
  
M上宿跡 大山・富士山へ向かう道中の宿。本町に移った市場(十日市場)の前身 
N念仏塚 富士講塔・扶桑山大神 明治13(1880)年 三十三度記念碑(明治13(880)年)は倒壊
O大山道解説板 中央運動公園駐車場
P舟つなぎの松 水無瀬橋南側の陸上競技場脇
O大山道道標 (正)大山道(左)ふしみち 寛延4(1751)年 

posted by まほら秦野 at 10:33| 活動の歩み

2013年08月04日

大山古道坂本道の道標の建立

大山古道坂本道の道標の建立

2013年8月3日  寺山772番地

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posted by まほら秦野 at 16:28| 活動の歩み

2013年05月24日

大山道を歩く「路傍の神仏を訪ねて」 東地区 寺山

古道・大山道を歩く「路傍の神仏を訪ねて」 東地区 寺山   2013/5/23 実施

 東公民館
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 庚申塔 (東公民館前) 上原 金山 関口 1831(天保2)年 ・東田原1525 
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 マタドの渡しと馬頭観音群
  金目川橋下流100mの川中に、大山道・坂本通りと蓑毛通りを結ぶ川中の道(踏み石)が残っていた。「マタド」に「馬渡戸」「馬渡」の字を与える研究家もいる。地形用語では「又と」で「二つの川か合流するところ」。この地はかつて金目川と中丸川が合流していたところ。「馬渡戸」「馬渡」になったのは、金目川橋の東のたもとに95体の馬頭観音が祀られているからだろう。 この馬頭観音群の中で最古のものは安政5年(1858年)に寺山村の角ケ谷戸西、二ツ澤、清水、竹之内、久保の各庭が合同で奉じた観音菩薩像。建立年代は、明治12、大正が26、昭和が30基。もっとも新しいものは昭和53年(1978年)の建立。
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 大山道道標
 「(左)ミの毛道(右)さ可本道」と記されている。今の大山・子易は、当時「坂本村」だった。そこに通じたのが「さ可本道」。
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 西の久保湧水
 「風土記稿」によれば、ここは天水場(溜め池)。大正8年(1919年)、旱害対策の横穴井戸が村の有志によって掘られた。記念碑がある。
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 道永塚と首切り畑
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 三界萬霊・庚申搭(宝作) ・寺山191
  宝作庭に入口に立つ寺山最古(延宝元年・1673年)の石碑。三界萬霊塔の下部に庚申搭の印である三猿の上半身がわずかに見える。 道祖神の表記に注目
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 天社神(宝ケ谷戸)                      ・寺山485
 県道脇に立つ。市内で二番目に古い建立で寛政11年(1799年)。台石に「右十日市場」「左坂本」と記されている。寺山667に立つ地神塔が市内最古で安永10年(1781年)。市内三番目に古いのは鹿島神社境内の天社神で享和2年(1802年)
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 清水湧水池跡記念碑                       ・寺山495
 東小・中学校の校歌に歌われている湧水池の記念碑。平成16年・2004年に清水自治会が建立。湧水は開発により平成16年(2004年)に消滅。久奈斗大神(道祖神)碑
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 武邸の屋敷神 
 庚申塔、巳待塔、稲荷社、金精神、4体が祀られている。
 東中学校の宮永岳彦画伯のレリーフ
 昭和60年(1985年)、新校舎が完成した記念に、東地区にゆかりのある宮永画伯にレリーフの壁画を依頼。1棟東面は「集団における協調精神と慈愛」、正面玄関の横・上には「人生の指針と未来への希望」が主題の大レリーフが飾られている。
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 円通寺(昼食)市重要文化財・十一面観音菩薩像。
  講座「波多野氏の居住地(波多野城)を示す古語」
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 鹿島神社
 祭神は「国譲り」の話の建御雷之男神・武甕雷男神・武甕槌命(タケミカヅチノカミ)。
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 (坂本道を歩く)
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 道祖神(僧形双体像)                      ・小蓑毛233
 小川直之氏は「この双体像は、像容(僧形の合掌像)からすれば寛文(1661年)から元禄(1703年)時代のもの」と推察。横畑地区では安産の神でもある。
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 大山道道標 不動明王(祠)(正)大山道 1820(文政3)年   ・小蓑毛235
 1990(平成2)年に建てられた祠。2011(平成22)年3月4日に建て替え。
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 才戸(馬返し つたや)                    ・蓑毛141
  ・大山道道標 動明王像を戴く市内最古の道標で享保20年(1735年)
  「右ハふし 左ハおた原」と記されているが、今は判読は困難。
  ・道祖神(男女双体像・市内初出) 1741(元文6)年 
  ・地神塔(五角柱型 市内唯一)               
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 地神塔 市内最古で1781(安永10)年             ・寺山667
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 東雲小学校跡碑
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 波多野城址
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 寺山遺跡と金目原遺跡
 柄鏡形敷石住居址
 寺山には寺山遺跡と金目原遺跡が存在する。JA東支所と東公民館を結ぶ県道の北側の遺跡を寺山遺跡、南側で見られたものを金目原遺跡。東小学校の二階ロビーに寺山遺跡より出土した柄鏡形敷石住居址(縄文中期のもの)が復元・展示されている。金目原にいくつかあった古墳も今は1基(寺山28)が現存しているだけ。この古墳上に慰霊碑が建てられているが根拠は不明。(建立者は関野氏)。
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 東公民館
posted by まほら秦野 at 07:58| 大山道を歩く コース編

2013年04月11日

「“おおやまみち”まちづくりサミット in 伊勢原」 まちおこしには「よそ者・若者・バカ者」の力を

  「おおやまみち”まちづくりサミット in 伊勢原」
     まちおこしには「よそ者・若者・バカ者」の力を

 3月24日、「大山道」をキーワードに、沿道の自治体や団体が一堂に会し連携をはかろうという「“おおやまみちまちづくりサミットin伊勢原」が産能大(伊勢原市)で開催され、9人が参加しました。
 伊勢原市主催のこの企画には、近隣市長、町長、川崎市や世田谷区、産能大、東海大、小田急、神奈中、大山観光電鉄はじめ、約400人が参加、官民一体で大山を盛り上けていこうという目的のもと、共同宣言を発表する形で関係機関の結束が約されました。
 参加団休の活動発表(3団体)に登壇した「まほらの会」は、武講師が「富士道〜富士から大山へ」を講演、地域を知ることの大切さとともに、まちつくり・活性化の原動力は、よそ者(に耳を傾け)、若者(の行動力)、パカ者(の熱意)の力が必要と、報告しました。
 「おおやまみちもが結ぶ絆」をテーマとした近隣5市長による意見交換会では、生活道路に密接した大山道の意義、点と点から生まれる線と面の発展など、大山は地域のシンボルであり、観光資源であることが各市長のことばで強調されました。なかでも「身近な大山に、小・中学生がまず登ろう、地元から発信力を強めよう」という海老名市長の熱意あふれる発言に拍手がわきおこったことが印象的でした。
 たった18人の「まほら秦野みちしるべの会」ですが、このような大きな流れに一石を投じ、存在をアピールし、何かできることがあるのでは、と考えられるように成長したことは、嬉しく意義深いこと、と実感したひとときでした。(事務局記)


 
  『みちしるベイラストマップ』を市内小・中学校に寄贈

 2月17日、マップを市内全小・中学校22校にイラストマップを贈呈しました。
 望月国男教育委員会委員長のお出迎えを受け、教育委員会を訪問した横山会長と井口さんが、市議会期間中の教育長に代わり杉山哲也教育部教育指導課長にマップを手渡しました。私たちの成果が、子どもたちの地域学習活動に一役かってくれることを願っています。(事務局記)
posted by まほら秦野 at 15:04| 活動の歩み

2013年02月04日

イラストマップ「まほら秦野みちしるべ」の報告会

イラストマップ「まほら秦野みちしるべ」の報告会       2013/ 01/20     
まほら秦野みちしるべの会
                          
会長挨拶
 マップは未完成です これからもご指導を
                                                  会長  横山 信子
               
 本日は、お忙しいところお越しいただきまして、誠にありがとうございます。「まほら秦野みちしるべの会」の会長をさせていただいております横山です。
本日は、マップの作成についてお世話になった皆様方に、秦野市内全11図の完成報告と調査報告、そしてお礼を申し上げる会を設けさせていただきました。
 「まほら秦野みちしるべの会」誕生のきっかけは、今から8年前、市制50周年記念事業《市民が作る「広報はだの」・1月15日号》で、武先生が編集委員長に、私が副委員長を、後ほど活動報告をさせていただく浦田も編集委員として参加、その記念号で特集「歩いて 秦野 再発見」を企画し、古道や道標を取材したことによります。
 そして2007年、東公民館企画の「大山道を歩く」に参加された方から会員を募り、この「まほら秦野みちしるべの会」を結成いたしました。
 マップを描くために現地調査をいたしましたが、座学を開催し、講師には地元のことをよくご存知の方、本日お越しの皆様などからさまざまなことをお教えいただきました。マップ一枚にはとても書ききれない情報です。古道や石仏についてだけではなく、地元に伝わるいろいろな出来事や裏話、ご自身の体験談などたいへん多くのことを教えていただきました。それら一つひとつのお話はとても興味深く、私たちの引き出しの数もどんどん増えていきました。
  「一年に2図」のペースでマップを公開してまいりましたが、「うちの地区がまだ無いんだけど、早く作って」などのお声も頂戴するようになりました。調査で訪問させていただいた方から「あっ、この地図知ってるよ。良い地図があるから、と知人からコピーをもらったんだ」と言って、私たちのマップを封筒から取り出し、見せてくださる方もいらっしゃいました。私たちが歩いていると、マップを持っている方に出会ったりします。そのマップには赤でいっぱい書き込みがしてあったりと、その熱心さに私たちが驚いています。
 先月、「歴史を伝える地図が完成」とタウン紙が報じてくださると、全図をはじめて展示させていただいた12月15日の東公民館まつりには多くの方が見に来てくださり、反響の大きさに驚きました。
  この1月のはじめから、これらのマップが秦野市内の各交番にも配布されているようです。このような形でお役立ていただけるとは思いもしませんでしたし、ご活用いただけることをありがたく思っています。
 描いた本人が言うのは大変おこがましい限りですが、多くの方からねぎらいのお言葉やおほめのお言葉を頂戴し、うれしい限りです。
 東地区を描き始めた当初、私たちは地道な自分たちだけのサークル活動だと思っていました。それが、いつしか知らないところでマップが独り歩きし、少なからずひとに影響を与えていると思うと、驚くと同時に今更ながら責任の重さをひしひしと感じています。私たちのマップや活動を評価してくださり、いくつかのイベントへのお誘いのお声をかけてくださる方もいらっしゃいます。
本日は、「完成報告会」とさせていただきましたが、皆様にはさらにお教えを乞い、会員自身も勉強しなければならないマップです。まだまだ改訂を重ねていかなければならない未完成品です。
 今日までお世話になった皆様方、ありがとうございました。これからもご指導よろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。  
         

活動報告
  私たちの歩みは続きます
                                                事務局  浦田江里子

 「まほら秦野みちしるべの会」の活動報告をいたします。
 2007年6月に発足してから、勉強会、実地踏査、検証という流れで各地区のマップを作成し、他方、公民館や外部事業への協力、武講師による講座などを柱としながら活動してまいりました。
 拠点である東地区に始まり、北地区まで11枚の地図を作成してきましたが、その間、会員同士のつながりが深まるにつれて、会の成長も見られ、各々が積極的なかかわりによって地域を学び、担当地区を持てるほどになりました。
 活動の概要は、
 @各地区の方にお話を伺う勉強会を 計12回実施しました。
 A各地区の実地踏査を会として計14回実施、会員それぞれが幾度となく現地を歩きました。
 Bマップ作成、検証についての話し合いを随時行いました。
 C市内公民館、東中学校、桜土手古墳展示館、あしがり瀬戸屋敷など計10回の展示会を行いました。
 Dその他、公民館事業、婦人会・学校活動への協力、武講師による外部講座など、会自体の活動以外に、会員が外に出て大山道について広めていく活動にも取り組みました。
 はじめは小さな一歩でしたが、今、振り返ると、私たちのまち、秦野を知る機会を得て、意味のある足跡を刻んでこられたのではないかと、感慨深く思います。
真夏の炎天下、立ち寄ったお宅で生き返るようなおもてなしを受けたり、真冬の弘法山のベンチで震えながら講義を受けたこともありました。公園のひだまりでお年寄りの話に耳を傾けたり、長寿会の皆さんと膝をまじえて歓談したりもしました。
 また、担当地区の踏査には、足を痛めるほど事前準備をして臨んだメンバーもいれば、観光ボランティアの経験から会を力強く引っ張ってくれるメンバーもいました。それぞれが持てる力を発揮しながら楽しく取り組み、成果を積み上げてまいりました。
 実際に地図上に勉強の成果を記していく過程では、古い地図と現在の地図とを照らし合わせ、古道とそれ以外の道を一つひとつ確認したり、風土記、行政の刊行物、学校教材、語り部集や、民俗学、ガイドブック、インターネットまで、数々の資料文献にあたり、参考にしました。試行錯誤を重ねながら、徐々に形を成してきた私たちの活動ですが、どこへ行っても、どんな場面でも、あたたかく受け入れ、快く協力してくださったたくさんの方々の応援があって、今、この地点にたどり着けたのだと思います。
 出会った方々は、ふるさと秦野で過ごした子ども時代を、一様に懐かしみ、穏やかな愛情を持ってお話くださいました。私には、それらがとても貴重で大切なものに思えました。
往々にして、その中にいると気づかないものですが、私たちのまちは、教科書には載らなくとも、残すべき大切な遺産を持つ、「山青き、水清き、ふるさと」である、と確信しています。会の活動を経て、大山、そして秦野は、今までよりもっと私たちの心をひきつける場所となりました。これからも、少しずつ形を変えながら、私たちの歩みは続きます。
 願わくは、この地に住む人たちが、「そうか、こんなに魅力ある街だったのか」と再認識していただくことを期待しています。私の感想も含め会の活動報告でした。ありがとうございした。
posted by まほら秦野 at 09:46| 活動の歩み

2012年11月04日

矢倉沢往還(千村・渋沢地区)を歩く

平成24年10月27日
  矢倉沢往還(千村・渋沢地区)を歩く     主催 秦野市立渋沢公民館
                               協力 まほら秦野みちしるべの会


 《渋沢公民館 (オリエンテーション)》
 ・矢倉沢往還と富士道 ・富士山と大山の祭神 ・往来手形


 ≪曲松稲荷神社≫(富士道道標)
・道標  高さ183aで市内最大の道標。大山道と矢倉沢往還の分岐。寛政8年(1796年)
  正面から右 ふし道 さい志やうじ道
  左 十日市場 かなひかんをん
  右側から右 大山みち 願主當村 江戸屋喜平治
  左側から左 小田原 いいすミみち
   参考; さい志やうじ・・最乗寺  十日市場・・今の本町四つ角周辺
    かなひかんをん・・金目観音 いいすミみち・・飯泉

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 ≪二つ塚≫
・正面堅牢大地神  文化14年(1817年)
右 大山 十日市場 左ふし さい志やうしみち
・庚申塔(青面金剛像)
・富士浅間大神碑
・富士講塔 報蒼天 三十三度


 ≪茶屋跡≫
・千 村 矢倉沢往還の主要な継立場の一つ。矢倉沢方面から峠を登って きてホッと一息入れた場所。「新編相模国風土記稿」に「矢倉澤往来係る 幅二間半 陣馬継立をなす西、足柄上郡松田惣領、北、本郡曽屋村へ継送る共に一里八町の里程なり、但近隣十三村より人馬を出し是を助く」と記されており、矢倉沢往還が通過する主要な村のひとつ。

↓   
 ≪古銭出土跡≫


 ≪屈掛(沓掛)の不動尊≫
 地名は《屈掛》 矢倉沢往還の波多野庄への西の入り口。戦前までは松田町神山地区との交流があった。 道標  ・不動尊  安永3年(1774年)        
台の正面  川上 そぶつみち
         大山道 天下泰平国土安全
          川下 ふじみち さい志やうじみち


 ≪泉蔵寺≫
新編相模国風土記稿によれば、萬年山泉蔵寺 (せんぞうじ)と号し、曹洞宗の寺。 開山は足利上郡松田惣領延命寺の末寺、本寺二世行世室良順大和尚によって文明十三年(1481年)に開山。寺領十 三石の御朱印を慶安二年八月(1649年)に賜わる。
・庚申塔  寛政12年(1800年) 青面金剛像  (右)ふじ道
・庚申塔  寛政10年(1798年) 庚申供養 寛政十戌午年六月吉日
    右ハ十日市場 大山道  左ハほり


 ≪白山神社≫
祭神:伊邪那美命、菊理比売命
新編相模国風土記稿には、「白山社神體木像・春日作・長五寸五分、傍らに十一面観音を置・長一尺六寸五分・行基作、村の鎮守なり、例祭六月二十八日、天正十九年十一月、社領一石五斗の御朱印を賜ふ。泉藏寺別当す、幣殿、拝殿、神楽殿建り、松樹 周一丈二尺を神木とせり」とある。
・木登り道祖神 アラカシの木の洞にある双体道祖神


 ≪カリガネの松≫


 ≪丹沢の眺望と山岳信仰≫
 菩提峠 二ノ塔 三ノ塔 行者岳 新大日 塔ノ岳(尊仏山)


 ≪峠隧道≫


 ≪県道大井秦野線≫
旧名:大山道 小田原道 稲荷神社道標に記されている道。さきほど歩いた屈掛の不動尊の脇は四十八瀬川。山から下る急傾斜の川なので氾濫して渡れないような場合は、この道が矢倉沢往還の別経路となった。篠窪から神山を抜けて松田惣領に至る。


 ≪渋沢神社≫
祭神:大雀の命、伊邪那美の命、須佐之男の命
建保六年(1216年)十一月、鎌倉鶴岡八幡宮の若宮を当地に勧請し、氏神とした。古神札(棟札)に「河村菊千代殿代官稲毛越前守拝御百姓中之請助成奉造立一顆弘三歳己」、別の棟札に造営祈願文と元亀四癸酉年を蔵し、天正十九年、御朱印一石五斗を賜う。天明の頃、御嶽社より須佐之男之命を勧請。明治六年、渋沢神社と改称。


 ≪喜叟寺≫ 曹洞宗廣澤山喜叟寺。
  源頼朝に仕えていた家臣が僧となり、この寺を開基しました。徳望のある僧だったので貴僧と呼び寺名も貴僧寺になった。一時寂れていたが東田原の香雲寺6世再興し「喜叟寺」となった。 


 ≪堂坂前の庚申塔と双体道祖神≫
・庚申塔 文化5年(1808年) バス停堂坂前の三叉路に立つ
      正面 庚申塔
      右 大山道
      左 ふじ さい志ようじみち
・双体道祖神  安政2年(1855年)


 ≪渋沢公民館≫
posted by まほら秦野 at 16:22| 大山道を歩く コース編

2012年10月01日

路傍の神仏を訪ねて NO2 路傍の神仏を訪ねて NO2

路傍の神仏を訪ねて NO2

大山道・羽根尾通りから矢倉沢往還(落合・名古木)を歩く   2012・9・26
(※は時間があれば見学)

東公民館 (オリエンテーション 路傍の神・天社神) 
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金目原馬頭観音群
↓  
大山道道標                      (バス停・藤棚)
供養塔(首切り畑)                   (バス停・藤棚)
溜め池・水波之売神(ミズノメノカミ)碑 大正8(1919)年  (寺山西の久保) 

道永塚(明和8年・1771年)

石橋供養塔(大山道道標) 右 伊勢[  ] 左[  ](万延元年・1860年) 
傍にあった東落合用水池と火の見櫓(昭和時代まで落合地区の生活を支えていた)は2009年に撤去された。

地蔵堂(明治5年・1872年)通称「出口地蔵」 開進学校跡碑

常夜燈 
大山の夏山の間 (7月27日〜8月17日)地元小金沢地区の人たちによって点されていた。一時期中断され、台座しか残っていない。15年ほど前、地区の健康・安全を祈願することもあり復活。伏見稲荷の灯籠を用いている。

百番観世音塔 (左)伊勢原道 (右)享和元稔 弘法山(享和元年・1801年)(曽屋4080・こうぼうふじみ公園角)  

地蔵(大山道道標)(右)かない道(左)十日市場道(明和2年・1765年)
(名古木1018・ 乗馬クラブ角)
※善波峠へ(石仏群) 矢倉沢往還の秦野への入口

大山道道標(灯籠・火袋なし)  (名古木1154)               

双体道祖神 市内では珍しい祝言像(献酌双体像とも言う) (名古木1154)

道祖神  市内でもっとも新しい道祖神・文字碑
  平成22(2010)年4月17日 名古木・道場自治会による造立

御嶽神社・庚申塔(大山道道標)右ミ[  ] 左十日市場みち 
(名古木458・御嶽神社東側)

昼食 講話   名古木会館

天社神(地神)(大山道道標)左みの毛道 西沢中(文政2年・1819年)
(名古木476)
↓ 
庚申塔(貞享5年・1688年) 碑文に并椚村(ナクヌギムラ)とある
  道祖神、地蔵など。地蔵は寛文10(1670)年で東地区最古  (名古木247)

(旧・宮永岳彦画伯アトリエ)

地蔵堂

※天社神(寛政11年・1799年) 左 坂本 右 十日市場 宝ケ谷戸村中
(寺山485)

※清水湧水池跡記念碑( 平成16年) 清水自治会 (寺山495)

※大いちょう(秦野の景観100選選定) (東中学校校庭)

東公民館 (まとめの講座 金目川の「金目」とは)


 ふるさとを知り ふるさとを愛し ふるさとを育てる

                    まほら秦野みちしるべの会  武 勝美
  

posted by まほら秦野 at 14:29| 大山道を歩く コース編

2012年08月18日

上地区を歩く

「道」〜上地区探訪記
                         浦田江里子


 例年なら梅も満開の頃だろう。山々はしっとりと冷気に覆われ、里の景色は白っぽく霞んで見えた。遅い春を待つある日、小宮茂平治さんの案内で上地区を歩いた。

 秦野市の西端に位置する上地区は、江戸時代は小田原藩、明治時代は足柄上郡に属し、秦野市でありながら、文化や地域性はその独自のルーツに由来している。
 国道246号から山側、四十八瀬川より西側に区切られた地区は、ちょうど中間地点あたりに、かつての役場や診療所の建物が残る。村の中心から三廻部、柳川、八沢、菖蒲各地区へ伸びる道があり、これらはほぼ昔の道を踏襲した道(舗装されているが)という点で、とても稀少である。
 70歳を超えた小宮さんが、子どもの頃、お使いに走り、神輿を担ぎ、月明かりに夜道を帰った同じ道筋だという。道は、松田への生活道〜弥勒寺道(寄往還)へ、塔ノ岳への信仰の道〜尊仏道へも続いている。
 辻には昔の姿のまま、道祖神が村を見守っている。竹の柱、杉の葉葺きの屋根の小さな小屋に住む道祖神である。その竹は青く、杉の葉は深緑。ずっと昔から、一年一度,祭りの時期に小屋は作りかえられる。
 焼失した寺跡の不動院には、小さなお堂に50センチほどの白体不動尊がある。風雨に耐えたお堂の縁台は朽ちて傾き、建物はたいそう古びてはいるが、それでも荒れ果てず、明るい参道と静かな境内に心安らぐのは、由緒あるこのお堂を大切に守り続ける人たちがいるためだ。この日も、数人の人が草むしりに精を出していた。「誰かに言われたわけでもない。村の神さまを守るのは今も昔もここに暮らす人にとって当たり前のことなのです」。朴訥で、まじめで、地道な、人々の心持ち。

 「住吉さん」(住吉神社)への急な坂道を登り、振り返ると、山に囲まれた秦野盆地がちょうどいい高さから見渡せる。標高350メートル。峠の道から突然拓けたこの場所で、通りがかる人は何を思ったろうか。道の先に人々の営みを遠望し、眼下に辿る道を見る。感慨と安心感を生むのは今も昔も特別なことではないだろう。

 一軒の家の脇に私道かと思える道がある。「この道は三廻部への本通り。今も公道です」と小宮さん。逆コースを歩いてみると様子がわかる。確かに三廻部から村の中心部へ向かう最短の道筋である。多くの家は立派な家に建て替えられているが、生活に根ざした道は残り、そのまま使われている。

 上地区を横切るように、数年後に第二東名が走る。土台だけ残された家の残骸が新たな道筋を作っている。この坂道も、あの雑木林も、今、ここにあるもの全てが作り出す空気もなくなってしまうのだろうか。変わりゆくこの地に、かろうじてお不動さんは住み慣れた場所にとどまるという。

posted by まほら秦野 at 07:41| 大山道を歩く コース編 上地区

北地区を歩く

2012/4/15 北地区を歩く NO1
 
渋沢駅〜バス・戸川公園⇒ 風の吊橋⇒ 道祖神⇒ 白泉寺⇒ 道祖神⇒ 唐沢川渡る⇒ 伊沢稲荷神社⇒ 加羅古神社⇒ 道祖神⇒ 今井家⇒ 聖徳太子塔⇒(地蔵堂跡・大藤新兵衛の墓)⇒ 道祖神⇒(明学橋〜北小)⇒ 北公民館⇒ 双体道祖神⇒ 宝泉院⇒ 水無川遊歩道⇒ まほろば大橋



2012/6/3 北地区を歩く NO2

北公民館〜⇒ 大山道道軌道祖神⇒ 大山みち⇒ 葛葉川渡る⇒ 道標⇒ 春窓院跡⇒ 大山みち中通り⇒ 庚申塔⇔ 多賀神社⇒
里山ふれあいセンタ⇒ 長屋門⇒ 熊野権現⇒ 風神嗣⇒(菩環のお茶⇒東円寺)⇒ 子の神社⇒ 茶畑の景観⇒ 野外活動センタ〜葛葉の泉⇒ 定源寺⇒ 花鳥神社⇒ 天神宮〜十王堂跡〜石碑・天社神〜三界萬霊塔⇒ 銀杏(市保存樹木)⇒ 北公民館
 
posted by まほら秦野 at 07:36| 大山道を歩く コース編 北地区